最高裁判所第三小法廷 平成3年(行ツ)12号 判決 1991年4月23日
東京都千代田区内神田三丁目二〇番七号
上告人
株式会社神田共済会
右代表者代表取締役
鯨岡亘
右訴訟代理人弁護士
松本健二
東京都千代田区神田錦町三丁目三番地
被上告人
神田税務署長 熊崎正宏
右当事者間の東京高等裁判所平成元年(行コ)第一〇八号法人税課税処分取消請求事件について、同裁判所が平成二年八月三〇日言い渡した判決に対し、上告人から全部破棄を求める旨の上告の申立てがあった。よって、当裁判所は次のとおり判決する。
主文
本件上告を棄却する。
上告費用は上告人の負担とする。
理由
上告代理人松本健二の上告理由について
原審の適法に確定した事実関係の下において、上告人が富士忠物産株式会社を吸収合併したことはなく、また、上告人が富士忠物産株式会社から減価償却資産に当たるような営業権を有償で譲り受けたこともないとした原審の判断は、正当として是認することができ、原判決に所論の違法はない。論旨は採用することができない。
よって、行政事件訴訟法七条、民訴法四〇一条、九五条、八九条に従い、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 可部恒雄 裁判官 坂上壽夫 裁判官 貞家克己 裁判官 園部逸夫 裁判官 佐藤庄市郎)
(平成三年(行ツ)第一二号 上告人 株式会社神田共済会)
上告代理人松本健二の上告理由
一、原判決には理由がない。
即ち、第一審判決に何ものも加えず、判断が第一審と同一であると述べているだけにすぎない。しかし原審の控訴理由で述べたものは第一審の争点であった合併手続きの存否が本件請求の認容か否かを決定するものではなく、仮に合併手続きが認められなく従って退職金と認められなくとも、営業譲渡としての費用性即ち営業権の償却として損金と認められるはずだと主張を明確にしたものであるのに、これに対しては当然答えるべきであるのになにも答えず一審と同様であると述べているにすぎない。
そもそも会計理論或いは費用収益にかんする税法上の益金損金の法理については法律家は一般に不得手とするところがあり当代理人もしかりである。
原審における控訴の理由の展開には、当代理人の場合依田友吉公認会計上の指導を受けて作成したものであって会計学上並びに税法上の理論に基づいて吟味された主張をしてきたものであって、当代理人の独自の見解を述べたものではない。
原審判決について、右依田公認会計士は次の二に述べる反論を行っているが当代理人も正にそのとうりであると理解するものである。
二、(株)神田共済会より退職金として支出された財貨の費消額4千7百万円につき、富士忠物産との合併の有無でその財貨の費消につき費用であるか否かを判断した第一審及び第二審の判決は誤りである。
けだし、「費用とは、企業資本の運動過程における価値費消の事実を意味し、収益との対応関係が認められる財貨・用役の費消事実の事をいう。したがって会計上の概念としての費用というのは、収益概念と対応させて用いられ、収益なる成果獲得のための価値犠牲分をいうのである。」(最新財務諸表論 山形休司 大阪市立大学教授 税理士試験委員 八十八頁)また、費用とは、「会計学上、収益を上げるに必要な財貨または、用役の費消をいう。」(税務会計用語辞典 国税庁企画課長編)とあり、費用とは、収益との対応関係のある財貨、用役の費消であることは、何人も認めるところである。収益との対応関係にない財貨・用役の費消たとえば資本家への利益分配である配当、取締役への利益分配である役員賞与、あるいは、収益という見返りをまったく気にしない贈与あるいは寄付金等とは、厳に区別しなければならないものである。
以上のことからして、(株)神田共済会の支出した退職金が費用として損金と認められるか否かについては、その支出が、(株)神田共済会の収益獲得のために費消された支出であったか否かを検討せずして、この支出を費用性の無い損金と認められないものと断定する事はできないものと考える。
ところで、今回の神田共済会の場合はどうであったかというと、(株)神田共済会は、(株)富士忠物産より顧客リスト、貸付金台帳、富士忠物産の貸付金業のノウハウ等を譲り受け、また、富士忠物産は、この譲り受けを行った後は、富士忠物産に来たお客も今後は神田共済会に行くように指導し、富士忠物産は金融業を一切行う事をやめ、神田共済会に対しての競業避止義務を履行した。そのため富士忠物産で上がるべき金融収益は、その後すべて神田共済会で計上されたのである。そして、神田共済会は、その収益源としての営業体を取得した見返りとして、富士忠物産にたいし同社の役員退職金という名目で4千7百万円の支払をしたのである。神田共済会では、このような営業体を富士忠物産より取得した後では、富士忠物産分として昭和57年9月までに受取利息44383718円、延滞利息1832682円の売上計上をしている。(甲5号証)甲5号証にあるのは、金融業務の一切が移転された時点での顧客が、それ以降当然減っていき、新たな顧客が増えていくという時間的経過に伴う顧客の新旧の移動をまったく無視し、時の経過にともなって減っている顧客のみをとらえても(新たに増加している顧客の方は、神田共済会の営業体の力か、富士忠物産から取得した営業体の力かによって増加したのかが判明しにくいため除いた)4千6百万以上の売上を確保しえたという事なのである。第一審の事実認定にもあるように富士忠物産は昭和50年10月20日に設立され昭和52年5月頃に金融業の店舗を閉鎖した事は、被告原告とも認めるところである。すなわち設立より閉鎖までのおよそ1年7ヵ月でおよそ4千6百万円の売上を確保できるだけの客を開拓できたという事は、甲5号証によって明白である。また、5年後の昭和57年9月期には、昭和52年当時の顧客が比例的に増えていれば、5年間割る1年7ヵ月すなわち60ヵ月÷19ヵ月=3、157ということで上記の売上にはまったく加算していないが昭和57年9月頃には新客の売上は、旧客の売上の3、157倍になっていたであろう事が推定できる。この様な収益力のある営業体を神田共済会は富士忠物産より取得したのであるからその対価の支払義務が生じる。そして、その対価の支払義務の精算方法として富士忠物産の役員退職金を肩代わりしたのである。もし、合併が存在しないで、かつ上記のような営業譲渡も存在しないとするならば、過去何回かの税務調査の折り少なくとも4千6百万円の金融収益は、神田共済会より富士忠物産に移しこれに対応する費用を算定し控除する事をし、その差額金としての所得を神田共済会より差引、富士忠物産の所得とし神田共済会に対しては減額更正をまた富士忠物産に対しては所得の増額更正を行っていたはずである。しかしながら、過去において税務当局のそのような更正決定は神田共済会においても富士忠物産においてもしていなかった事は、原告、被告とも認めるところである。以上のような経過から考えると神田共済会が富士忠物産を吸収合併したものと認められないならば、神田共済会が富士忠物産より営業譲渡をしてもらったというよりほかに考えようがないといえる。営業譲渡と考えるならば営業権の取得の対価として退職金の肩代わりをしたというほかに考えようがない。けだし、この退職金の支払を第一審の判決のように神田共済会の役員に対しての賞与あるいは鯨岡泰子に対する寄付金とするならば、上記のような収益力のある営業体を無償で富士忠物産より神田共済会が取得した事になり、富士忠物産より神田共済会がその対価に等しい金額だけ寄付を受けた事になる。もしこの様な解釈を正しい解釈として一般に行おうとするならば、現在行われている経済活動はすべて停止せざるを得ない。なぜならば、かりに清涼飲料水を販売する会社が自動販売機を自動販売機のメーカーより購入したとして、この自動販売機の会社の退職者二名(内一名は、清涼飲料水販売会社の役員をかねているものとする)の退職金を自動販売機の支払対価を支払う代わりに肩代わりした場合、清涼飲料水販売会社の方は、この社員に対する寄付金あるいは役員に対する賞与を支払ったと認定され、自動販売機のメーカーの会社は自動販売機を清涼飲料水販売会社に寄付をしたと認定されるのならば、清涼飲料水販売会社、自動販売機のメーカー会社との間では、現在の法人税法に照らして考えるならば利益以上に税金が課税される事になり経済活動が計算上成立しない事になる。このことは、神田共済会が清涼飲料水販売会社、富士忠物産が自動販売機のメーカー、営業権が自動販売機と置き換えて考えてみれば第一審の判決および第二審の退職金の肩代わりが役員賞与であるとか寄付金であるとか言う判決は、とても無理な結論と言わざるを得ないものである。
そこで、神田共済会が、富士忠物産の役員に対して支払った退職金は営業権の取得の対価として支払い、その営業権を金額償却し法人所得を申告したものと考えざるを得ないのである。
以上の事から、4千7百万円の支払は損金として認めざるを得ない。また上記のように解釈せざるを得ないならば、神田共済会は役員に対して賞与を支払った事にはならないからそれぞれの役員の賞与に係わる源泉所得税の徴収義務もなければ、その源泉所得税額を対象としてなされた不納付加算税の付加決定も適法であるとは言えない。
三、右に述べた論旨は、会計学上の損金概念より当然に導かれるものである。
これを現行法上の根拠を示せば法人税法第三十一条第一項(減価償却資産の償却費の計算及びその償却の方法)に引用されている同法第二十二条第三項(各事業年度の所得の金額の計算)及び政令第四十八条第一項第五号(減価償却資産の償却の方法)に該当する。
まことに「法人税法は、益金の場合と同様、損金の概念を積極的に定義することはせずに、会計概念とし把握される個々の原価、費用、損失を基礎とし、これに「債務の確定」という法的テスト及び別段の定めによる必要最小限の税法独自の規制を加えて誘導的に損金の範囲を画する事としているのである。従って、課税所得計算上の損金の額の中味は、税法独自の規制があるものを除き、企業が継続して適用する公正妥当な会計慣行によって計算される原価、費用及び損失の額によることとなるのである。」(法人税の課税所得計算・その基本原理と税務調整・改訂版 中村利雄著 ぎょうせい出版 六十三から六十四頁)である。
四、以上の次第であるから、本件の退職金名下の支払は法人税法第三十一条の損金に当たるもので上告人が原審で、主張した営業権の償却としての損金と認められて然るべきものである。しかるに原判決は、会計学の理論、法人税法の解釈に一顧だにせず、上告人の控訴理由(合併による退職金と認められなくても被告国の言う役員に対する賞与あるいは寄付と解釈するのではなく営業譲渡による営業権の償却と解釈するべきである)に対して、会計学上の理論に対する無知か、或いは法人税法の費用の解釈について誤った為か全く控訴理由に対して答えなかった。第一審においては、原告も被告も裁判所も本件の核心(企業の合体を前提とした本件の支払の税法上における損金性)を理解せず合併の存否による損金性の認否のみを審理していたので合併の存否だけで結論を出したのも些かやむを得なかった事情があったが、しかし原審においては控訴人が明確に合併の存否のみならず営業譲渡か個別債権譲渡かまで審理しなければ会計学上、法人税法上の損金、費用の意味が明らかとならないと主張したにも拘らず(しかも控訴ではこの一点しか述べていない)この点に触れないのは、まさに不可思議で理解に苦しむ次第である。 以上